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13/03/11 (月)

『ある日ある時』新天地 04

 出来るだけ自力のみで、自立を選んだ場合、残るのは借金だけになるのは目に見えていた。

 仮設住宅、借上げ住宅、公営住宅を選んだ場合と違い、爪楊枝一本から家まで、すべて一切の支援が無いと言う事だった。

 もちろん、どこどこの社長さんの支援金です。どこどこの団体の支援金です。封筒に入った義援金が配られることも無い。

 地元の話によれば、パチンコ屋のゴミ箱を見れば、どの仮設住宅に、どこからの支援金があったのか、一目瞭然だったらしい。(^^ゞ

 爪楊枝から家まで、速射砲のごとく一万円札が飛んで行った。『お足』とはよく言ったものである韋駄天のごとく走り飛んでいった。(;_;)

 仮設住宅などを選べば、今頃は、財をなしていたかも知れない。かと言って後悔など微塵も無い。

 シルバー人材センターを通じて、幾ばくかの収入の道も出来た。

 雇用保険が終了して、まもなく、年金支給の年齢に達した。60 歳からと 65 歳からの開始では、年額 15 万円ほどの差があった。津波を見た今、65 歳などの未来の数字は自分の人生には無い。

 それどころか、1 時間先、2 時間先に思いを馳せることもなくなった。

 3 月 11 日、あと数日で 65 歳、あと数日で 60 歳になる方がどれだけ居たのだろう。60 歳になる誕生日を時計を見ながら、待ちわび、年金事務所に吹っ飛んで行って手続きを完了させた。

 ふるさと・・・。石巻人である前に、宮城県人。宮城県人である前に、日本人。日本人である前に、地球人でありたい。『地球の果ての日本人』とか言うようなテレビ番組があったが、地球の果て・・・ただただ、頭が下がるだけで、私には、そこまでの力は無い。精々、日本国内。。。(^^ゞ 地球で恩返し、とまでは行かない。。。(^^ゞ

 2011.03.11 それ以後、歩んできた日々の心境に符合する誌に出逢った。『自由と平和の光の海』

 家族三人、震災前になど、思いも寄らなかったほどの、日々を過ごしている。

 この春からは、公共施設の宿直業務にも就けるようになった。

 20 日間で終わった震災、2011 年 3 月 31 日から始まった新生、新天地、ここは、自分の、どこにそんな感情があったのかと、未だに信じられない出来事でした。

 雪景色が、生まれて初めて景色を見て心の底から絶叫したほどの美しさを見せる新天地でした。

 震災前は、一冬に 4、5 回降っただろうか。

 ここの雪の降り方には、興奮を覚える。。。前世は、絶対に『犬っころ』だったに違いない!!(^^ゞ

 ここだけの話、地元の方に、雪の話をすると嫌がられる。(^^ゞ 

 「4、5 回経験してから言って」

 今回で二回目、ウーーーン、未だに絶叫するゾ、興奮するぞ。。。異常か???(^^ゞ

横手の雪景色 00736 〜(工事中) 今のところ、絶叫する景色は撮れていない。いつかきっと・・・。

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