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13/03/07 (木)

『ある日ある時』震災 26

 県職員の笑いながらの応対といい、津波被害の無かった地区の脳天気な日常、仙台駅周辺を行き来する人たちの日常といい、津波被害地区と、地震だけの地区で、何故、天と地ほどのギャップがあったのだろう?

 日頃の情報源であるテレビを相当期間、見ることが出来なかった事。

 さらに、見ることが出来るようになっても、テレビ局のカメラで捉えた映像など皆無だった事が原因だったのだろう。

 テレビ局の取材班は、確かに来ていたが、さほど地震の被害など無い、もちろん津波の津の字も無い安全な場所で屯していただけである。

 恐らく、流される映像は視聴者投稿、或いは YouTube その他、ネット上にあった映像だけを流していただけ。

 テレビ局で働いていても人の子、危険な場所に近づく気などは、まったく無かったからと言って当たり前の話かも知れない。

 初老のホームレスが、こんなところで何やってる?

 そんな視線を投げかけられても無理の無いことだった。

 津波が襲う映像、そんな視聴者投稿、或いは YouTube その他、ネット上にあった映像、或いは関係諸機関の映像を流したところで、ショーでしかない。

 すでに、落ち着いた避難所の映像を映したところでショーでしかない。

 テレビ局のカメラが捉えた偶然の映像などショーでしかない。

 新聞、テレビで見ただけでは、ショー見物でしかない。

 そんな映像見ただけで「大変だったね」全然。

 「津波、凄かったねぇ」全然。

 もう、笑いたいほど爽快でした。

 天と地ほどのギャップの存在を突きつけられた時の方が、大変でした。

 ショックでした。落ち込みました。

 そうか、映像でしか見てない人が居るんだ。

 映像しか知らない人が居るんだ。
 そんな現実を知った時の方が落込みました。

 先月、知人が「はじめて現地に行ってきた。」

 「何が起きたかを知ることが出来た。」

 「涙が止まらなかった。」

 今は、きれいに整地された更地しかないはずです。

 それでも、そこに立てば何が起きたのか感じることが出来たのかも知れません。

 もうすぐ2年、さんざん、新聞、テレビで知っていたはずなんですが、知り得ていなかったんですね。

 もうすぐ2年、すでに2年、現地に立って、何が起きたのか、何があったのか、はじめて実感できたようです。

 震災以前を知らなくても、そこに立つだけで、何が起きたのか感じることが出来たようです。

 バスは秋田道に入った。

 山々の風景・・・、信じられない風景が目に飛び込んできた。

 さほど、標高が高くないと思える山々は、雪景色だった。

 話には聞いていたが、ここまでの文書そのものだ。

 話を聞くだけ、テレビで見るだけでは、実際に知ったことにはならない事を思い知らされた。

 己の目で見て、己の身で、体験しない限り、何も知ることが出来ないのだ。

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