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『ある日ある時』震災 23
![]() 電波の届くところを探して電話連絡、写真記録、情報収集、かなり正確な状況を知ることができるようになってきた。 まず安価な自動車の入手は、やはり、市内どころか市外からでも困難、県外の知人を頼るしかなかったこと。住む家に至っては、限りなく情報入手が困難なこと。 自動車同様、知り得る友人知人、すべて手を尽くしたが市内どころか、市外に住居を得るのも容易ではないことを思い知らされた。とにもかくにも、移動手段がない。 自転車を借りることは出来たが、知人のように数十キロ移動など、日頃の無運動が祟って不可能、精々数キロ範囲では話にならない。 |
![]() しかし、数十メートルで足の筋肉に激痛を感じて、漕げなくなる惨憺たる有様で、半径数キロだけを見るのが限界だったが、 たった数キロの範囲でも、見ることが出来た惨状が北関東から北海道の一部まで広がっているとするなら、長期戦どころの話ではない、復旧、復興など出来るのだろうか? さらには、復興を待ち元の生活を取り戻したところで、何の意味があるのだろうか? そうとさえ思えるような惨状が次から次に飛び込んできた |
![]() 仮設住宅にしても、建設開始の気配すらない。 それでも入居を申し込み、自動車入手に出来る限り尽力した今。 人事を尽くして天命を待つ程大げさなことではないが、待つことだけしか出来ない日々。 かといって時間を持て余してるわけにはいかない、友人知人が瓦礫処理を始めたと知り、誰置くとも知れず、できあがったガレキ置き場まで畳の搬出、瓦礫と化した日々の暮らしの様々なものの搬出を手伝いをする日々になった。 |
![]() 私は中古の軽自動車1台、友人の心境を思うと慰めるどころの話ではなかった。私など容易に諦めがついた。 ただ、上には上があるもので、この町内で、話題と言えばそれしかないと言ってもいいような話があった。震災1週間前、様々な装備を追加して、優に1千万円を超える自動車を購入、天下を取ったかのように肩で風を切って町内を闊歩する姿を目撃できたらしいが、震災後の自失憔悴した姿は、とても言葉をかけられる状態ではなかったらしい。 この手の話は、優先話題のようだったのは言うまでもない。どういうわけか、近所でこの車だけが、浮き輪のように浮き、ただただ波に翻弄され、最後は猛烈なスピードの引き波に持って行かれたらしい。 この手の話には尾ひれが付くものだが、どこを聞いても尾ひれは無いようだ。高台から様子を眺めていた連中は、相当気分を晴らしたらしい。(^^ゞ |
![]() 震災後からか?震災前からじゃ無かったか?いや、震災前は、少なからず高級車に対する羨望は、多少はあった。 今では、自動車など、床が錆びて穴が開いていようと、走りさえすればいい。この思いは死ぬまで変わることは無いだろうと思う。 家にしても同じ、誰もが知ってって、言うまでも無いことだが、すでに居住している既存の家だけでは無い。新築完成、あとは居住開始を待つばかりの家が何棟流されて土台だけになってしまったのか。 高級住宅に対する羨望も、跡形も無く消し飛んだ。家に対する考えも雨風が凌げるだけの家でいい。一時は食器類さえ、避難所で充分機能を果たした紙製でいいとさえ思えるようになった。 |
![]() 早朝の空気を吸う?思い起こせば早朝の空気を吸ったことなど、生まれてこの方一度もなかった。 過去、新聞奨学生として、早朝の経験はあるが、空気を吸ったというような感覚は一度もない。 掃除の後は、外の喫煙場所で、まずは身近な情報交換、当方聞くだけが主、暮らしに落ち着きを取り戻し始めた気配、 インフラが、徐々に復旧し始めた事、津波の被害が及ばなかった所に、職場がある人たちは仕事を始めた事、様々な方面の近況情報を得る。 |
![]() 排泄、当初は災害用簡易トイレ、糞尿がある程度固まるものがあるなど思いも寄らなかった。 その後は、川の水を利用した水洗、様々な工夫でしのぐことが出来ることに関心の日々。 7時に勤行唱題。7時半頃には朝食。当初のパン食が、時々、おにぎりになることがあった。 主に、コンビニにあるようなものだったが、ある日の昼食、ほんわか暖かいおにぎりを手にした時の思い、食した時の思いは生涯消えないだろう。 秋田からの物だった、その後、なんどか送られてきた。やがて、電気、ガスが復旧し炊飯の米食になった。 |
朝食が終われば、隅から隅まで、聖教新聞、地方紙を読みあさる。 この頃には、昼間、会館に残った男性陣は、肉体労働に勤しむ機会が増えた。 救援物資の搬入である、バケツリレーよろしく、ずらりと列を作り手渡しで搬入するのだが、結構な運動量になった。 搬入だけでは無く、搬出も増えるようになった。 避難所で生活する人だけでは無かった、インフラの無い中で、壊れた窓、玄関など、ブルーシート、段ボールなどで塞ぎ自宅で生活する被災者も多く居た。 行政より早く、そう言った被災者に救援物資を届ける拠点の機能を持ったからである。また、遠方の道路事情が整わない集落の状況も掴めてきた結果、行政だけではどうしても手が回らない集落に人海戦術で救援物資を届ける拠点にもなった。 2016-02-18 11:26:53 ※ 娘がなにやらレシピを見つけて夕食を作ってくれた。 盛られていたのは百均のどんぶり器・・・。 さすがにこの時ばかりは器に思いをいたした。 次の瞬間、味はそのものの変わりがあるはずがないとは思ったものの、相応しい器を購入することを考えたが、また、次の瞬間、それはただの錯覚と気がついたし、避難所の暮らしを思い起こした。 この思いは、死んで生まれ変わっても消えないで欲しい。 たとえ、灰皿を綺麗に洗った器でも味は同じと気がついた。 欲望のままに、見た目の錯覚などに陥ることなく過したい。 一生を終えたい。 |
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