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『ある日ある時』震災 19
![]() 目指す会社までは、1kmあるかないか。万が一に、希望を託して会社を目指した。 北上川、地震の爪痕を其処彼処に残していた。 瓦礫も流れていた。 二日目に通った、少し、上流に広がる田園も海水が浸水して、今年の稲作は不可能かも知れなかった。 今思うと、平成合併前の旧市70~80%程の区域が津波で被災している。 |
![]() どれだけの時間、どれだけのお金、どれだけの資材、どれだけの人員を投入すれば、復旧・復興するのか、想像さえできない。 100年、200年掛けても不可能にさえ思えてくる。 山を削り、海を埋め、まったく、完全に造り替える以外、短期間での復興などあり得ない。 ただ其処までやれる国力は日本にないように思う。 修繕復興だけが唯一の望みかも知れない。 そうなるとヘドロが運んできた、細菌、病原菌の除染もおぼつかないだろう。 |
![]() しかしながら、その雨には細菌、病原菌の比ではない恐ろしい物を含んでいる。 この世のものとは思えないほどの、霧よりも小さく微少な粒になって、落ちてくるそれは呼吸によって体内に取り込まれ、5年先、10年先になって、心筋梗塞、心不全などの血液疾患、脳梗塞、脳溢血などの脳疾患、そして白血病などのさまざまな癌を引き起こすようだ。 もちろん、体内にまで入り込んだ極小微量なものを測定できる器械など存在しないらしい、チェリノブイリ在住で25年、今も研究を続ける医師の統計によるもので信じるか信じないかは、貴方次第です。 |
![]() 川からの津波が車庫に置いてあったであろう車の数々を、ほぼ一カ所に押し流していた。 地形の為か遠方まで流されることはなかったようだが、集合住宅の様で重なり合って、一カ所に圧縮されていた。 救援物資輸送は諦めるしかなかった。たとえ動かせる車が有ったとしても、救援物資輸送など念頭にないのは明らかだ。途中すれ違った会社の車は、救援物資ではなくお客を乗車させていた。 今日ここまで送ってもらった二つめの目的。 自家用車の確認、会社から離れた、多少、盛土してる駐車場に置いてある。 |
![]() しかし、近づくにつれ、あきらめが強くなってきた。 何故?海から数キロも離れているこの地区で、これほどの惨状が起きたのだろう!? 川!?それしかないようだ。 遮る物がない川を悠々と押し寄せ、これほどの惨状を残したようだ。 川に係留されていたのであろう小船が駐車場近くの住宅地道路まで流されてきていた。 船に残された浸水の高さの後を見れば、自ずと自家用車の浸水程度が見て取れた。 |
![]() 無駄なのは解りきっていたが、一応、ドアを開け室内灯のひかり具合を確認した。 辛うじて蛍の明かり程度の光を見て取れた。無駄とは解りつつも、イグニッションキーを回してみたが、やはり一、二どクン、クンしただけで、全く反応がなくなってしまった。 バッテリーを確認、どうやら浸水は軽微だった。充電乃至充電されたバッテリーがあればなんとか生き返るかも知れない。 さて、仙台にあって東北地方を管轄する拠点会館から、灯油、水、防寒着、毛布、衣類、下着類、乾電池、食料、ガソリン、様々な救援物資が届き始めた。 同時期、被災地以外の自治体、農協などの団体などからも救援物資が届くようになった。市の救援体制、人員など整いつつあったのか、自衛隊の車両を使用して市からの支援物資も届き始めた。 近くの避難所では、処方箋薬も支援してくれるようになった。 衣食住が整い始めると、やることが無くなってきた。 後は、一日でも早く自立するための行動だ。 ここは数分おきに公共交通機関がやってくる都会ではない。 公共交通機関など無いと言っても過言ではない地方だ。 さらに追い打ちを掛けて、バス、タクシー、鉄道まで、復旧の見通しもたたない程に被災していた。 早急な自立のためには、最低限移動手段を確保しなくてはならない。 |
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