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11/05/04 (水)

『ある日ある時』震災 10

震災画像18  外は、素足でサンダルを履けるような気温ではない。

 しかし、昨夜作成の綿入り半纏、袖靴下では分厚すぎた。

 今度は、着古したトレーナーの袖をちぎり靴下を即製、昨夜同様レジ袋を見つけ出し粘着テープで巻き付けた。どうにか防寒、防水は叶いそうだ。隣家で人の声、おやじを娘が迎えに来たようだ。

 「避難所に行ったら、お父さんは渡波の娘の家に連れて行ったって、言ってください」

 気軽に引き受けた。信じがたいが、ばあさんが避難所まで連れって行ってくれたらしい、そのぐらいは引き受けた。
震災画像19  ヘドロとガレキの中を避難所に向かって歩き出した。進むにつれ形容しがたい惨状の連続だった。壊滅、破壊、地獄、汚染どれも言い当てられないほどの有様だった。

 いつも見慣れた渡波方面に向かう国道398線上に家が建っていた。角の中古車販売会社の展示車は、一塊になって、惨状を晒していた。向かい角の一風変わった車種のみを扱う中古車店の車は、どこに流されたのだろう?それらしい車は、付近に一台も見あたらなかったし、私が乗ってきたタクシーも、全く,見あたらなかった。

 今、思い出すと、津波が襲ってきた時、うろ覚えだが、少なくても家の前の路上は渋滞中で数十台の車が居たはずだし、まだまだ、徒歩で避難していた人達が居たはずだ。それらしい車、それらしい人々が流れ着いたはずと、思われる場所には、何もなかったし、何も探し出せなかった。
震災画像20  道路は、海まで一直線に向かっていて、距離も 1Km に満たない、引き波の勢いを思い出すと、自ずと想像できたが、あの時、乗ってきたタクシーが引き波に乗って戻って来るのではと、何も見逃さない程の視線、視力を向けていたのだが、それらしいものが流れて行った様子は、全く、なかった。

 其れもそのはず、押し寄せた津波の高さ、濁流の色を考えれば、沈んで引き波に流されて行く車、人の姿は当然ながら大型トラックさえ、見えるはずもなかったのだと再認識できた。

 さらに進むと、ガスステーションのボンベが根こそぎ流されていた。昨日、引き波に乗って流れていくボンベを目撃してたし、昨夜一度だけ、それと嫌でもわかる大音響の爆発音がした。
震災画像21  流されたものばかりではない、流されて来たものも散乱していた。

 魚、やたら魚が目についた、さすが水産の町、漁業で成り立つ町らしい。変なところで感心してしまった。

 何十匹という魚を冷凍にして一塊にしたもの、それを袋でくるんで出荷状態にしてあったもの、一匹一匹バラバラ状態で流されて来たもの、なかには港の岸壁近くにあった超低温冷蔵施設に保管さて居たのであろう冷凍本マグロまで流れ着いていた。

 残念、人力で持ち上がりそうな代物ではなかった。(^_^;)
震災画像22  道路を塞ぐ車、家の中にまで侵入した車、車の上に車、何かと衝突してしまったのだろう。

 サイド、前部、後部さまざまな場所が破壊された車が流れ着いていた。

 電柱に衝突して止まった車、ブロック塀の上部に車輪が引っかかったためにそこで止まったのだろう、底部をさらけ出してる車、津波の力を誇示するに充分なほどの惨状を呈していた。
震災画像23  偶然、隣家のばばあと逢った。日頃の仕打ちを気にかけていないふり、忘れたふりをして声をかける。

 「おやじさんは、娘さんが来て、連れって行ったからって、伝言頼まれてきました。」

 『どっちの娘、渡波?』

 どっちの娘と尋ねられても判るはずなど無い。そうそう渡波だったかもしれない。

 肝心な二人のことを尋ねたが、要領を得ない。やはり二人を連れていたなどは、日頃の言いぬ言われぬ仕打ちを思い出せば、考えられないことだし、あり得ないことだった。
震災画像24  後でわかったことだが、日頃からなにかと気に掛けてもらっていた大国さんの奥さんが二人を誘導してくれたのだ。

瞬でもおやじの言葉を信じた自分が情けなかった。

れだけ気が動転していたのだろう。日頃の冷静さがあったなら、大国さんの奥さんである事を難なく推察できたはずだ。

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