『ある日ある時』震災 09
人のざわめきで目が覚めた。
皮肉にも朝から快晴。快晴が、せめてもの救いだったかもしれない。 建物は破壊し尽くされ、さらに降りしきる雪に見舞われていたら、やりきれない一日になったかもしれません。泣くに泣けない一日になったかもしれない。 二階から、そぉっと見下ろすと、サンタクロースよろしく、強大に膨らませたゴミ袋とおぼしきものを背中に背負った一団が、次から次と、通り過ぎって行った。 し!しまったぁ!! どうやら某国から来ている研修生の一団のようだ。コンビニでの食料、水の調達は、これで絶望的になったことを思い知らされた。 |
しばらくして、避難所から来たのか、三々五々、人々が戻り始めて来た。戻っては見たものの、当分、なすすべがないことを思い知らされたに違いない。 この人達は、先の集団と違い、水、食料らしき物は、携えて居ないようだった。先の集団の機知には感服してしまった。 後続の集団は、日本人らしかった。この後、饑餓、乾きに苦しめられようとは思いもよらなかったに違いない。 |
さて、二人を迎えに行くことにする、おそらく指定避難所の牧山幼稚園に居るはずだ。昨晩、綿入り半纏の袖で作った即製、防寒防水靴下は分厚くて履物を履くには使えない、かと言って履物代わりにもならない。階下に降りて履物を探すしかない。 階下の惨状、とても履物など探せる状態ではなかった。 食器棚、冷蔵庫、洗濯機、食卓テーブル、何が何やら、どれがどれやら原形をとどめずガレキと化していた。ヘドロの洗礼を受けていた。 下駄箱らしき姿は、どこにもなかったが、どうにか、ガレキを掻き分け、分厚く、不格好な即製、靴下でも履けそうなサンダルを見つける事ができた。 |
決して、履き心地いいとは言えない代物だったが、それでも半纏の袖、防水の為に巻き付けたレジ袋だけのもので歩くよりはましだった。さて、外に出て歩き出した。 信号機のおかげで、交差点だった事をどうにか判断してもらえそうです。398 号線市内方向。 後方、一町焼き尽くした煙も見えます。 |
反対側、国道 398 号線渡波方面。翌朝には、国道上、遙か彼方まで建物、ガレキに占領されていた状況がうかがえると思います。 |
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※ 今思うと、人間とは不思議な生き物だ。普段外出に際しては、最低限、不快感を与えないよう装い、見栄えを考えるものだが、装いの〝よ〟の字も、見栄えの〝み〟の字も涌いてこなかった。(^^ゞ ※ 20代前半、赤ちゃんを背負い綿入り半纏で防寒、赤ちゃん用品を優先で持ち出したようなバック、普段なら最先端の子育てファッションで出かけたに違いないのだが、履き物は左右別の履き物だった。津波の直撃を受けた地区、そこは、いつか写真で見た戦後だった。 |




