11/05/01 (日)
『ある日ある時』震災 08
雪も小降りになり、日も落ちて、徐々に、徐々に、漆黒の闇がやってきた。遠くで焼けはじける音が時々する意外、静穏の闇が訪れた。
暫くすると、ピチャッ、ピチャッ道路上を歩く人の気配、警察?消防団?暗闇では確認のしょうがない。サーチライト機能が備わってるのであろうか手に持ったライトで左右を照らしながら、数人歩いていた。明るくなってから避難を決めた今、下手に声をかけて、移動させられたらかなわない、息を殺して眺めていた。
突然、水たまりを歩く人のピチャ、ピチャ音とは、あきらかに違う水の音!『第二波だ!』路上にいた人物も気づいたようだが、思うように避難できなかった。アッという間に数人のみ込まれた。建物近くまで行っていた人は、咄嗟に二階まで駆け上がったのか、しばらくしてサーチライトを使いながら、叫ぶように仲間の名前を呼んでいたが、返事する者は居なかった。
彼らも、第一波の規模を見ていたなら、当然、第二波、第三波を予測していたはずだが、襲ってくる時間、規模までは予測出来なかったのかもしれない。第三波は、第一波以上の勢いで襲って来た!第四波、第五波、勢いが収まり、水かさも衰えた。第三波では、巨大な冷凍魚運搬コンテナまで流されて来たのには、度肝を抜かれた。第三波の勢いを見て、はじめて尋常ではない事態が起きつつあることを認めざるを得なかった。
ラジオで県知事がコンビニに対して、直ちに解放するよう呼びかけた事を知った。確か、県とコンビニ業者は、災害が起きた際、今回のような措置を執るよう協定を結んでいたことを知っていた。これで当面の水、食料は心配なさそうだ。明日、明るくなってから調達すればいい。
えっ!?東京も!?急に長男のことが心配になってきた。近くに完成したばかりの基地局、断末魔の呻き声を上げているのかのように、圏外と一本立ちを明滅させていた。日頃、小馬鹿にしてきた携帯メール、使えるかも知れない。一本立ちの瞬間を狙って送信ボタンを押した。行ってくれ!!頼む!!送信完了!?やった!!
お互いの送受信、まったく話が噛み合わないながらも、無事を確認することができたし、知らせることができた。そうか無事か安堵した。東京にいる長男は、師に命名していただいた。『和義』一瞬躊躇したが『単身で世界を駆け巡り道を切り開いて行ける』おそらく由来だけではない。数年前から同じ名前を命名する親は皆無だったろうし、数年後までは居ないはずだ。未だに居ないとしたら、ある時期から日本でただ一人の命名と言っても過言ではない。つまりは由来同様、世界でただ一人の名前になってしまった。
母親、妹が知的障害、親父は通常なら務所暮らしが相応しい程のドグサレ親父。そんな生活環境の中で育って、横道にも逸れなかったのは、何故なのか、思議できない事だ。長男には、余りにも、ドグサレ過ぎて謝っても謝りきれない。しでかしたことは、謝っても済むことではなかった。
何回かやり取りの後、圏外さえも表示されないような妙な動きをして、送信も受信も終わった。そこかしこの基地局の被害を思わずには居られなかった。今夜はこれでいい、まずは着の身着のままベットに潜った。
もう何波目?独特のイヤーな水音を立てて、襲ってくるたび、跳ね起き水かさを確認した。押し寄せる間隔が長くなったのと、水かさが減ったことで、まずは安心感が出てきた。さらに、東側の火災は鎮火したようだし、徐々にベットの暖かさが増したことで、いつの間にか眠りについたようだ。余震、絶え間なく続いていたが、本震を超えることはないようだ、津波を見た今、余震など揺りかご気分にさえなってきた。
※ 幸いこの時期でよかったのかも知れない。これが日の長い夏だったり、昼間だったりと思うと、ゾッとする。日の長い夏、昼間だったら、一波の後、どれだけの人が家に戻り犠牲者がどれだけ増えたんだろう?巨大地震は、二波、三波!
※ ラジオあれば便利です。携帯電話のワンセグ・・・充電方法があれば、OK!! 放送局自体なのか、送信アンテナが被害を受けたのか?唯一の民法ラジオ局は受信不可でした。NHK は、OK!! NHK 様々だった。
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