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11/04/30 (土)

『ある日ある時』震災 07

震災画像11  独特の唸り声を上げ、破壊のすさまじさの音をあげ、あっ!という間に一階まで達し、二階までも襲いそうな勢いだった。屋根にまで登らなくてはならない事を覚悟。

 この時、はじめて履物を持ってこなかったことに気づいた。雪も降り始めてきた。弱り目に祟り目、くそ!!
震災画像09  急いで防寒のため綿入り半纏の袖をちぎり袖口を紐で結び、さらに粘着テープでふさぎ足に履いた、さらに、防水のためレジ袋を足に巻き付け、同じように粘着テープで止め履物代わりにした。

 これで二階まで浸水するようなら屋根に避難する準備は出来た。もの乾し場のベランダから津波の様子を観察するが、どうも一階までの浸水で収まる気配だった。

 写真!!生まれて初めて体験する津波、その迫力に圧倒され、茫然自失、肝心な撮影を忘れてしまっていた。

 安堵した瞬間、カメラで記録を思い出した。気が動転して居たのかもしれない。写真のできなど考える余裕もなく、同じような写真を撮り続けた。静止画で、動画で。

 初めの河川洪水時の怒濤、濁流にも似た勢いは収まっていたが、それでも人が駆け足するくらいのスピードで、様々な浮遊物が流れていた。向かいにあるパチンコ店は、津波の威力と、運んできた浮遊物が衝突し、見る間に破壊されてしまった。
震災画像10  夕日が西の空に沈み始めた方向、火事だろうか?異常な煙が上がっていた。

 暗くなると、火炎特有の照らしで、それが火事だとわかった。

 炎がすべてを焼き尽くし地獄の様を呈している事を後日知った。西ほどの規模ではないにしても、東側でも火災が発生していた。かなり近いようで、一時は警戒したが、真夜中には収まった。

 水が引き、どうにか歩ける程度までになってきた様子の道路を、百均で買った5cm程のLED携帯ライトで確認することが出来た。こいつにこれほどの照射能力があるとは思いもよらなかった。

 家族の安否を確認に行こうと考えたが、あたりは停電で真っ暗、指定避難所は高台にある。万が一に も、襲っているはずなどない、夜が明けてからに迎えに行くことにした。

 押し寄せる勢いと同じく、引き波も同等以上の勢いだった。

 すべての物を海まで運ばずにはおかない、はっきり意志でも持ってるかのような勢いだった。

 目を皿のようにして、乗ってきたタクシーを確認したが、水嵩、真っ黒に近い濁流からすれば、大型トラックが流されて居たとしても、確認など出来るはずもなかった。


 ※ ラジオ、懐中電灯などは思いつきますが、履物、これは考えもしませんでした。

 ※ 家内に居て津波が来た場合を想定して出来れば長靴、各階に準備して置くことをお勧めします。

 ※ 貴家で、米国式に土足生活なら、まったく必要ありません。

 ※ 機敏に玄関まで履物を取りに行ける自信がある方も必要ありません。(^^ゞ

 ※ それと車のシガーソケットから利用できる携帯電話充電器、幸い身につけていたバックに仕舞っていたので使えました。

 ※ 避難所では、ひっぱりダコで自分の携帯電話の充電も、ままなりませんでした。

 ※ あれば助かったのは、同じく 100V を取り出すコンバーター。

 ※ ただ、これは携帯充電器と違って車に常備してることが、殆で、車を流されてしまっては元も子もありません。

 ※ 車に常備してあったもの、ノートパソコン用キャリーバックに仕舞っていたもの両方流されてしまいました。

 ※ 二階に備蓄して置く、家族全車に装備して置く、一台でも助かれば重宝するはずです。

 ※ 2013.03.13 日現在、まだ復旧通電していない所があるようです。電気の復旧は、あまり当てにしない方が無難です。

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