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       守 護 国 家 論      正元元年 三十八歳御作

 夫れおもんみれば たまたま十方微塵みじんの三悪の身を脱れて まれ閻浮えんぶ日本の爪上そうじょうの生を受け亦閻浮日域えんぶにちいき・爪上の生を捨て て十方微塵・三悪の身を受けんこと疑い無き者なり、然るに生を捨てて悪趣あくしゅつるの縁・一に非ず或は妻子眷属けんぞく 哀憐あいれんに依り 或は殺生悪逆せっしょうあくぎゃくの重業に依り 或は国主と成って民衆の歎きを知らざるに依り 或は法の邪正を知らざ るに依り 或は悪師を信ずるに依る、此の中に於ても 世間の善悪は眼前がんぜんに在り 愚人も之をわきまうべし 仏法の邪正・師 の善悪に於ては 証果しょうかの聖人・尚之を知らず 況やいわん末代の凡夫に於ておや。
 しかのみならず仏日・西山に隠れ余光・東域とういきを照してより巳来・四依の慧灯えとうは日に減じ三蔵の法流は月に濁る実 教に迷える論師ろんしは 真理の月に雲をえ 権経にしゅうする訳者は 実経の珠を砕きて 権経の石と成す、いかいわんんや震旦しんたん 人師の宗義しゅうぎ其の誤りあやま無からんやいか況やいわん日本辺土へんどの末学誤りあやまは多く実は少なき者か、随って其の教を学する人数は 竜鱗よりゅうりんりも多く得道とくどうの者は麟角りんかくよりも希なり、或は権教に依るが故に或は時機不相応の教に依るが故に或は凡聖ぼんしょう の教を弁えわきまざるが故に 或は権実二教を弁えわきまざるが故に 或は権教を実教とうに依るが故に 或は位の高下を知らざ るが故に、凡夫の習い仏法に就て 生死しょうじの業を増すこと 其の縁・一にあらず。
 中昔ちゅうじゃく邪智じゃちの上人有って末代の人の為に一切の宗義を破して選択集せんちゃくしゅう一巻を造る、名をらんしゃくどうの三師に って一代を二門に分かち実経をろくして権経に入れ法華真言の直道じきどうじて浄土じょうど三部の隘路あいろを開く、亦浄土三部の 義にも順ぜずして 権実の謗法ほうぼうを成し永く 四聖の種をだんじて阿鼻あびの底に沈む可き僻見びゃっけんなり、而るに世人之に順うこ と譬えば 大風の小じゅの枝を吹くが如く 門弟此の人を重んずること 天衆の帝釈たいしゃくを敬うにたり。
                                        p.三六