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⇐ 守護国家論 三
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千万億倍なり、難易・勝劣と云い行浅功深と云い観経等の念仏三昧を法華経に比するに難行の中の極難行・劣が中
の極劣なり。
其の上悪人愚人を扶くること亦教の浅深に依る阿含十二年の戒門には現身に四重五逆の者に得道を許さず、華
厳方等般若雙観経等の諸経は阿含経より教深き故に勧門の時は重罪の者を摂すと雖も猶戒門の日は七逆の者に現
身の受戒を許さず、然りと雖も 決定性の二乗・無性の闡提に於て 誡勧共に之を許さず、法華涅槃等には 唯五逆七
逆謗法の者を摂するのみに非ず亦定性無性をも摂す、就中末法に於ては常没の闡提之多し豈観経等の四十余年
の諸経に於て 之を扶く可けんや 無性の常没・決定性の二乗は 唯法華涅槃等に限れり、四十余年の経に依る人師は
彼の経の機と取る 此の人は 未だ 教相を知らざる故なり。
但し 往生要集は 一往序分を見る時は 法華真言等を以て顕密の内にいれて 殆ど末代の機に叶わずと書すと雖も文
に入って委細に一部三巻の始末を見るに、第十の問答料簡の下に正しく所行の勝劣を定むる時、勧仏三昧・般舟三
昧・十住毘婆沙論・宝積・大集等の爾前の経論を引いて一切の万行に対して念仏三昧を以て王三昧と立て了んぬ、最
後に一つの問答有り 爾前の禅定・念仏三昧を以て 法華経の一念信解に対するに 百千万億倍劣ると定む、復問を通
ずる時 念仏三昧を万行に勝るると云うは 爾前の当分なりと云云、当に知るべし 慧心の意は往生要集を造って末代
の愚機を調えて 法華経に入れんが為なり、例せば 仏の四十余年の経を以て 権機を調え法華経に入れ給うが如し。
故に 最後に一乗要決を造る 其の序に云く「諸宗の権実は古来の諍いなり 倶に経論に拠て互いに是非を執す、余
寛弘丙午の歳冬十月病中に歎いて云く 仏法に遇うと雖も 仏意を了せず 若し終に手を空うせば 後悔何ぞ追わん、爰
に経論の文義・賢哲の章疏 或は 人をして尋ねしめ 或は 自ら思択し 全く自宗の偏党を捨つる時・専ら権智実智の
深奥を探ぐるに終に一乗は真実の理・五乗は方便の説を得る者なり、既に今生の蒙を開く何ぞ夕死の恨を残さん
p.五四