⇐ 守護国家論 三   ⇐ 守護国家論 二    次ページ 次ページ 前ページ 前ページ

  世間を見聞するに 自宗の人師を以て 三昧発得智慧まいほつとくちえ第一と称すれども 無徳の凡夫として実経に依って法門を信 ぜしめず 不了義の観経等を以て 時機相応の教と称し 了義の法華涅槃を閣いさしおそしって 理深解微りじんげみとがを付け如来の遺 言に背いて「人に依って法に依らざれ・語に依って義に依らざれ・識に依って智に依らざれ・不了義経に依って了義 経に依らざれ」と談ずるにあらずや、請い願わくば 心有らん人は 思惟しゆいを加えよ 如来の入滅は既に 二千二百余の星霜せいそう を送れり文殊・迦葉・阿難・経を結集しけつじゅうて巳後・四依の菩薩重ねて出世し 論を造り経の意をぶ 末の論師に至って漸 く誤り出来す 亦訳者に於ても梵漢未達 ぼんかんみだつの者・権教宿習ごんきょうしゅくじゅうの人有って実の経論の義を曲げて権の経論の義を存ぜり、 之に就て 亦唐土の人師・過去の権教の宿習の故に 権の経論心に叶う間・実経の義を用いず 或は少し自義に違う文有 れば 理を曲げて会通えつうを構え以て 自身の義に叶わしむ、設い後に道理と念うとも雖も或は名利みょうりに依り或は檀那だんな帰依きえ に依って権宗を捨てて実宗に入らず、世間の道俗亦無智の故に理非を弁えわきまただ・人に依って法に依らず設い悪法た りと雖も 多人の邪義に随って 一人の実説に依らず、而るに 衆生の機多くは流転るてんに随う設い出離しゅつりを求むとも亦多分 は権経に依る、但恨ただうらむらくは悪業の身・善に付け悪に付け生死を離れて難きのみ、然りと雖も今の世の一切の凡夫 設い今生を損すと雖も上に出す所の涅槃経第九の文に依ってしばらく法華・涅槃を信ぜよ其の故は世間の浅事すら 展転てんでん多き時はきょは多く実は少し況や仏法の深義に於てをや、如来の滅後二千年余年の間・仏法に邪義をえ来り万 に一も正義無きか一代の聖教多分は誤り有るか、所以に心地観経の法爾無漏の種子・正法華経の属累の結末・婆沙 論の一十六字・摂論のしょうろん識の八九・法華論と妙法蓮華との相違・涅槃論の法華煩悩所汚の文・法相宗の定性無性の不成 仏・摂論宗じょうろんしゅうの法華経の一称南無の別時意趣べつじいしゅ・此等は皆訳者人師の誤りなり、此の外に亦四十余年の経経に於て多 くの誤り有るか 設い法華涅槃い於て 誤有るも誤無きも四十余年の諸経を捨てて 法華涅槃に随う可し其の証上に出 し了んぬ 況やいわん誤り有る諸経に於て 信心を致す者・生死を離るべきや。
                                        p.四五