|
⇐ 守護国家論 三 ⇐ 守護国家論 二
次ページ |
|
る故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏巳来」等と説く、但し諸経の勝劣に於ては仏自ら「我所諸経
典無量千万億」なりと挙げ了って「巳説・今説・当説」等と説く時、多宝仏・地より涌現して皆是真実と定め分身
の諸仏は 舌相を梵天に付け給う 是くの如く 諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ、此の外・釈迦一仏の所説なれば
先後の諸経に対して 法華経の勝劣を論ずべきに非ざるなり、故に 涅槃経に諸経を嫌う中に 法華経を入れず法華経
は諸経に勝るる由・之を顕わす故なり、但し邪見の文に至っては法華経を覚知せざる一類の人・涅槃経を開いて悟
を得る故に迦葉童子・自身並に所引を指して涅槃経より已前を邪見等と云うなり経の勝劣を論ずるには非ず。
第三に 大小乗を定むることを明さば、問うて云く 大小乗の差別如何、答えて云く 常途の説の如くんば 阿含部の
諸経は小乗なり華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗なり、或は六界を明すは小乗・十界を明すは大乗なり、其の
外・法華経に対して実義を論ずる時・法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして法華経は大乗なり。
問うて云く 諸宗に亘て我所拠の経を実大乗と謂い
余宗所拠の経を権大乗と云うこと 常の習いなり末学に於ては
是非 定め難し、未だ 聞知せず法華経に対して 諸大乗経を小乗と称する証文如何、答えて云く 宗宗の立義互に是非
を論ず 就中末法に於て 世間出世に就て非を先とし是を後とす 自ら是非を知らず 愚者の歎くべき所なり、但し且く
我等が智を以て 四十余年の現文を覩るに 此の言を破する文無ければ 人の是非を信用すべからざるなり、其の上・
法華経に対して 諸大乗経を小乗と称することは 自答を存すべきに非ず、法華経の方便品に云く「仏は 自ら大乗に
住し給えり、乃至・自ら 無上道大乗平等の法を証しき 若し 小乗を以て化すること 乃至 一人に於てせば 我即慳貪
に堕せん、此の事は為て不可なり」此の文の意は法華経より外の諸経を皆小乗と説けるなり、亦寿量品に云く「小
法を楽う」と 此等の文は 法華経より他の四十余年の諸経を 皆小乗と説けるなり、天台・妙楽の釈に於て四十余年
の諸経を小乗なりと釈すとも他師之を許すべからず故に但経文を出すなり。
p.四一