対話ー種々雑多

ただのおしゃべり、暇つぶし・・・(^^;)

前へ次へ
2024/1/12 Fri 8:52

084 法難 其の十三

WAN  「己等の策略など、微塵も及ばない事を知った、極楽寺良寬を筆頭に、邪宗・邪教の坊主ら、執権 No.2 の極悪人平左右衛門尉と結託して・・・、」

    「己の愚かさを自覚できない証、今度は、油も凍る、極寒の流刑地〝佐渡〟冬には凍死して、生きて、戻る者とて無い、流刑地〝佐渡流罪〟を画策します。」

    「場所は塚原、佐渡で死んだ者を捨てる場所、死人を捨てに来た、人足が休憩する荒ら屋に、幽閉した。」

    「邪教を信奉した瞬間から、浅はかな思考のみ、浅はかな物見のみの、頭脳からしか、思い描けない所業。」

    「斬首を目論んでも、佐渡で凍死を狙っても、大聖人の命を奪うことなど、到底、不可能なことさえ、判断できない。」

    「ただ、ただ、愚か者の集団である事を、微塵も自覚できない輩。」

    「大聖人は、そんな輩の中で、竜の口首の座、佐渡流罪を謀議した、極悪人平左右衛門尉を、味方と称しています。」

SARA  「そんなぁーーー!! なっ、なんで・・・味方だなんて・・・」

HASHI 「何故なら、立宗宣言と同時に、時の地頭一味に襲われ、額に刀傷から始まり、竜の口首の座、死が待つ、佐渡流罪の法難。」

    「この佐渡流罪で〝法華経〟に説かれている〝法華経の行者(本仏)としての法難〟の全てが、完結します。」

    「平左右衛門尉がいなければ、法華経に説かれている、本仏としての法難・・・」

    「釈尊亡き後、二千五百年の間に、仏門者の中で、誰一人、〝命に及ぶ法難〟を受けなかった・・・」

SARA  「そうなんですねぇ・・・平左右衛門尉が居なかったら〝発迹顕本〟もなかった。」

HASHI 「佐渡流罪の結果として、法華経に説かれている本仏の法難、全てを受けきりました。」

    「同じく、法華経に説かれている〝発迹顕本〟衆生を導くための、仮の姿を開いて・・・、」

    「襲い来る〝死〟と戦う、流人と言った、姿のままで、本仏(久遠元初自受用報身如来)の境智を自覚します。」

WAN  「本仏の境智を自覚された後は、創価学会にとって、人類にとって重書の〝開目抄〟〝観心本尊抄〟を始め、日蓮仏法の重書を、次々と、御述作されます。」

HASHI 「それだけではありません。関東一円に残った門下一同にも、法難が降り注ぎました。」

    「住家に、火付けをされたり、所を追われたり、法難に遭われている、各地の門下一同に、激励の書を、寸暇を惜しんで、数多く、したためられています。」

SARA  「そんな、佐渡でも、面白いことが、起きてるでしょ。。。(^^;)」

WAN  「こら、こら、不謹慎じゃぞ。。。」

SARA  「だってぇーーー。。。(^^;)」

HASHI 「確かに、面白いというか、痛快な出来事が起きたようです。。。(^^;)」

    「佐渡流罪で色めき立ったのは、佐渡を始として、信越、北陸、東北から数百人、日頃、色と金にしか興味のない・・・、」

    「法衣、或は、袈裟を掛けただけのエセ坊主、我こそは、日蓮を説き伏せ〝法華経を捨てさせる !!〟」

    「比叡山修業時代、御前公開法論、奈良、京都、七大寺エセ坊主どもを、完膚なきまでに、徹底的に論破したことなど・・・、」

    「時代が時代です。信越、北陸、東北の極一部のみで、広域には、届いていません。」

    「末法に入って、五百年余り、法論に負けた坊主どもが〝改宗〟するなど、あり得ない時代でしたが・・・、」

    「血相を変えて逃げ出す者、首から提げていた、数珠玉を投げ捨て、平伏する者。袈裟を破り捨てて、平伏し、帰依を誓う者。数知れず。」

    「経文に説かれている、邪宗・邪教の恐ろしさを、経文を紐解いて、説き伏せます。」

    「二度と念仏を唱えない !! 〝南無妙法蓮華経〟の唱題以外、口にしないと誓い、涙する者、数知れず。」

SARA  「いまでも、数は少ないけど、檀家を説き伏せ、改心改宗、創価学会に、入会するお寺さんが、あるんだって。」

WAN  「〝受くるは易く護は堅し、去る間、成仏は護るにあり〟檀家さんともども・・・しかし、守護(護持)は、むずかしい。」

    「この信心、臨終まで、護持出来る人は、少ないと、説かれています。」

    「戦後、退会した人は、これまで 1,000 万人とも、1,500 万人とも、言われている。」

    「この事に関して、池田先生は「水(清水に棲めない)が合わない人は、居づらくなって、自ら去る」

HASHI 「日蓮大聖人は、成仏(絶対的幸福境涯)に至まで、強盛に信心を実践できる人は〝爪の上の砂粒〟ほど、とも言われています。」

    「檀家さん共々、お寺さんが、改心改宗・入会しても、特別な事は、何も無いようです。」

    「寧ろ、永い間の檀家生活で、完全に〝仏種〟を焼く尽し、内在には〝狂気〟だけしか、残ってない檀家の方が、多いようです。」

WAN  「そう言った方々が・・・」


前へ次へ

SINCE 1995.12 Site Manager