写真!!〝怒濤の勢い〟その怒濤を垣間見た思い。余のことに、終いには笑うしかありませんでした。(^^;)01 茫然自失、我に返り、カメラを手にした時は、既に、時間が経過して勢いが治まっていました。 二階から、見える範囲を、構図も何も、シャッターを押して、捉えただけの写真になります。 02 後半は翌日、避難所まで家族を迎えに行った際の光景。 03 途中まで同じ道を歩き、当分の生活場所である、避難先に向った際の光景。 04 この現状が知れ渡る前に、車を手に入れなければ・・・。 懸念が的中、震災前、解体屋行の軽トラに、100万円の値を付けても売れたのは、 1ヶ月程経過した頃から始まり、長い間続いたらしいです。 友人云く「人間の本性を見た!!どこが〝絆〟だ!!金と〝絆〟か!!」(-_-;) 05 10 日程経過した避難先周辺の光景。 06 自衛隊の皆さんが、道路を塞いでいた瓦礫を、端に寄せ、取り敢ず、車の往来が可能になった頃。 07 主要道路以外は、まだまだ瓦礫の山。瓦礫をかき分け、どうにか辿り着いた海岸線周辺。 この頃からだったようだ。夜、海上を大勢の人が歩いて、陸に上がって来るのを見た。 あちこちで目撃されるようになり、海岸沿いの道路は、夜間通行止になったらしい。 記憶は、あやふや、2018年、戻れるようになった福島でも、時間をおかず、 海岸沿いの道路は、夜間通行止になったようだ。 08 20 日経過、片付けが進み始めた頃の津波被災地区と、津波とは無縁だった町(仙台駅前)の風景。 09 ほぼ、一ヶ月後、主に車窓からの光景。震災前から、漁港地区では、満潮時、主な道路の冠水が起きていた。 冠水の深さを見るにつけ、情報以上に、南、北極の熔氷が進んでいる事を思い知らされる光景があった。 震災後、漁港地位以外での冠水は、地盤沈下の影響らしい。 10 北上川。後半、日和山から二ヶ月半ほど経過の光景。 |