110311 ISHINOMAKI

 

写真!!

〝怒濤の勢い〟その怒濤を垣間見た思い。余のことに、終いには笑うしかありませんでした。(^^;)

01 茫然自失、我に返り、カメラを手にした時は、既に、時間が経過して勢いが治まっていました。
  二階から、見える範囲を、構図も何も、シャッターを押して、捉えただけの写真になります。

02 後半は翌日、避難所まで家族を迎えに行った際の光景。

03 途中まで同じ道を歩き、当分の生活場所である、避難先に向った際の光景。

04 この現状が知れ渡る前に、車を手に入れなければ・・・。
  懸念が的中、震災前、解体屋行の軽トラに、100万円の値を付けても売れたのは、
  1ヶ月程経過した頃から始まり、長い間続いたらしいです。
  友人云く「人間の本性を見た!!どこが〝絆〟だ!!金と〝絆〟か!!」(-_-;)

05 10 日程経過した避難先周辺の光景。

06 自衛隊の皆さんが、道路を塞いでいた瓦礫を、端に寄せ、取り敢ず、車の往来が可能になった頃。

07 主要道路以外は、まだまだ瓦礫の山。瓦礫をかき分け、どうにか辿り着いた海岸線周辺。

  この頃からだったようだ。夜、海上を大勢の人が歩いて、陸に上がって来るのを見た。

  あちこちで目撃されるようになり、海岸沿いの道路は、夜間通行止になったらしい。

  記憶は、あやふや、2018年、戻れるようになった福島でも、時間をおかず、

  海岸沿いの道路は、夜間通行止になったようだ。

08 20 日経過、片付けが進み始めた頃の津波被災地区と、津波とは無縁だった町(仙台駅前)の風景。

09 ほぼ、一ヶ月後、主に車窓からの光景。震災前から、漁港地区では、満潮時、主な道路の冠水が起きていた。
  冠水の深さを見るにつけ、情報以上に、南、北極の熔氷が進んでいる事を思い知らされる光景があった。
  震災後、漁港地位以外での冠水は、地盤沈下の影響らしい。

10 北上川。後半、日和山から二ヶ月半ほど経過の光景。

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